2012年1月25日 (水曜日)

さよなら、ちーちゃん

友人が亡くなりました。
享年42歳。
私の弟と同じ歳で、この世を去りました。

くも膜下出血で倒れ、激痛に耐え抜いた二週間あまり。
精一杯闘って、闘い抜いて、眠りについたそうです。

あまりにも、呆気なく、
あまりにも、衝撃的な、
終わり方だったように思います。

ひとは、こんなにも、あっさりと、消えてなくなるものなのか。

その、亡骸を目の当たりにしても、実感がわくことはありません。
今も、あの二週間は悪い夢だったかのように、思えます。

乾燥が続いたあと、突然雪が降った夜、彼女を偲ぶ会へ向かいました。

雪のせいで、タクシーを長々待ったあとに、ようやく着いた会場。
フルネームで書かれた彼女の名前を見つけて、心臓がギュッとつぶされそうな気持ちになる。
やっぱり、これは、冗談とかではなくて、本当なんだな、と。

「笑って、彼女の好きだったマイケルジャクソンで送ろう」という、共通の友人の言葉に支えられるような気持ちで会場に入る。
「Heal the World」のオルゴールメロディが流れる中、大勢の人がすすり泣いていて、もう、それだけで我慢ができなくなって大泣き。
こんなにも、私の中に水分があったと驚くほど、ボロボロと涙が止まらない。
ハンカチなんかじゃなくてバスタオルでも持参すれば良かったと思うくらいに。

ここ数年、電話やメール、年賀状とかでやりとりはあったけれど、他の友人同様、地元やダンスのつながりがないと、実際に会って話したりしたのは1年に一度程度になっていた。
疎遠というわけではないけれど、昔ほど頻繁に会うことはなかった。

元気だし、いつでも会えるし、電話やメールで連絡とってるし…と、ついつい「近々会おう」と言いつつ会わない時間が多くなっていた。

彼女とは、添乗員の頃に知り合った。
その出会いは鮮明に記憶に残っている。
イタリア行きの飛行機の中、「ちょっと、あんた、一緒に飲もう。」と初対面の私に声をかけてきたのが彼女だった。
或る意味、ナンパだったのかな(笑)

急速に私たちはそのツアーで仲良くなった。
当時、イタリアのツアーは、どこの会社もだいたい同じようなプランでまわるコースになっていて、行きの飛行機で一緒になって、同じ日程のツアーならば、ほぼ同じコースをたどるのでホテルは違っても同じ都市に滞在するため、仲良くなれば互いに仕事をフォローしあったり、オフの時には一緒に食事に行ったりなんてことが出来た。

私は当時、添乗員になって数年が経過し、ベテランが担当するイタリア周遊のツアーを担当しはじめた頃だった。
まだまだ知らないことが沢山ある私に、既に学生時代からツアコンとして活躍してきた大ベテランの彼女はいろんな裏技や情報を教えてくれた。
役立つこともあったし、単に面白いことも沢山あった。

アリタリア航空の機内で無料で出されるスプマンテ(発泡ワイン)を何本も貰っておいて、現地のホテルで飲むことや、ミラノのリナシェンテというデパートでのショッピングの仕方。
イタリアでの「エレガンテ(エレガント)」な服や靴の選び方。
イタリアのジュエリーの美しさや、イタリア人との人間関係。
ワインとスプマンテと素朴なイタリア料理の美味しさ。
激しい恋の仕方。

彼女に教わったことは、今の私の基礎の部分になっていることが沢山ある。
本当にいろんなことを年上の私に教えてくれた。

添乗員という、私の人生の中でも、ひとつの時代とも云える時期を一緒に過ごした、特別な友人だった。

いつも彼女は、私を叱咤激励してくれた。
時にはきついことも言われたし、背中を押されたり、お尻を叩かれたり、いつだって、まるで私の姉のようだった。
どこかで私は彼女に甘えきっていたのだと思う。

彼女は、それこそ、沢山の友人にいつだって囲まれた、賑やかで華やかで煌びやかな人だった。

ふたりで飲みに行く約束をしていても、平気で何人も他の友人を連れてきたり、久しぶりに会った時でも知り合いのお店に連れて行ってくれたり、いつだって賑やかだった。
連れて行って貰う、銀座や六本木のイタリア料理の店では、誰もが彼女の名前を呼び、挨拶をし、私は初対面の人と飲んだり食事をしなきゃならず、時として居心地の悪さを呪ったものだった。
しかし、大概は、私も初対面の彼女の友達と一緒に仲良くなっていたり、楽しく飲んでいたりしていた。

彼女を偲ぶ会には、それこそ、沢山の女性が集まり、彼女のあまりに突然な去り方に涙していた。
こんなにも沢山の友達に囲まれ、彼女との別れを惜しむ人が居るなんて、正直羨ましいとまで思える程だった。

お線香じゃなくて、シャネルのパフュームの香りが漂い、ろうそくではなくキャンドルを灯し、会が始まる。

思い出の写真がスライドで映写される。
子供の頃の、ちいちゃかった彼女。
最前列のお母さんが細くて小さい身体を絞るようにして、涙を堪えているのが見える。
学生の頃の彼女。
そして、社会人になり、添乗員姿の彼女。
ここからは、私の知っている彼女の写真が次々と映し出され、どれも懐かしくて、涙が止まらない。

友人の方々から、それぞれ言葉がおくられ、ひとりひとり、お花を供えてゆく。
棺におさまる、彼女の顔を見て、本当にもう生きていないのだと思ったら、喉の奥のほうから空気が漏れるような、自分でもびっくりするような声が出てしまって、親族への挨拶もままならず、係の人に促されるように別室へと移動した。

この数日、覚悟はしていたというのに、やっぱり、この場に及んでも、私は彼女がこの世から居なくなってしまったという事実に向き合うことが出来ていないのだ。

別室へ向かうと、懐かしい人たちに再会した。
彼女に紹介されて一緒に飲んだりした添乗員仲間や、彼女の学生時代の友達たち。
そして、顔も知らぬ人から「あなたがMonieちゃんね。」「Monieちゃんって、貴方だったの?」「ようやくMonieちゃんって人に会えた!」と言われ、面食らう。

彼女は、彼女の多くの友達に、生前、私の話をいろいろとしていたのだった。
それも、詳しく聞けば聞くほど、彼女は私のことを大切な友達としていろんな人に話していたらしい。

私が知っている彼女は、沢山の親しい友人たちにいつも囲まれていて、私は、その外側の存在なんだろう…、まあまあ仲の良い友達というステータスなのだろうと思っていたので、正直、びっくりするのと同時に、何とも言い難い気持ちになっていた。
なんで、どうして、生きている時に、ちゃんと、本人である私に、そう言ってくれなかったのよ!
私は、あなたの数多い友達の中で、それほど存在価値はないと思っていたのに。

更に、私がそれまで会ったことがなかったのに、彼女が私の話をしたことで、すっかり私のことが会う前からわかっていたかのような人に声をかけられ、つい、いろいろと話し込んでしまった。
まるで、それは、私が彼女に「こんなこともあったよね。あんなこともあったよね。」と思い出話をするかのような内容で、その友人という人は、その私の思い出話の所々で「あ、それ言ってた!」「うん!聞いたよ〜その話!」と答えてくれる。それは、それは、不思議な感覚だった。
初めて会う子なのに、まるで長年の共通の友達のような感覚。
そして、彼女とした二人だけのイタリア旅行の話にいたっては、「ちーちゃん(彼女)が、女友達と二人っきりで海外旅行したのってMonieさんだけだったのよ。」と言う。
そして、その旅行でのいろいろな思い出を話すと「そんな一面、ちーちゃんは絶対他の人に見せなかったと思う。というか、私はたぶん一番長い付き合いだけど、そんな部分、知らなかった。Monieさんだけには気を許して、甘えていたのかもね。」と。

ちーちゃん、そうだったの?
私、ちーちゃんのこと、全然わかってなかったね。

こうして、私は、彼女の死を前に、また、いろんなことを彼女から教わった。

今、どんなに健康で活気に溢れる人であっても、次の瞬間、もう二度と会えない存在になる可能性はあるということ。
だから、先送りにしたりせず、会いたいと思う人には、時間を作ってでも会いに行くこと。

いつか、私が居なくなった時、私の面影や幻を共有できる友人たちを出来る限り引き合わせておくこと。
実際に引き合わすことが出来なかったとしても、双方に、こんなに素敵な友人がいるんだという話をしておくこと。
そうしておけば、喪失感を互いに埋め合い、寂しさを軽減することができるから。

大切な人には、きちんと、自分の気持ちを伝えておくこと。
例え照れ臭くても、相手には伝えなければ伝わらないから。

お気に入りの、自慢の、そして永遠に憬れの女友達を失うことは、自分の一部分を失うものと同じような感覚であると気付いたこと。
大人になると、新たに友人を作ることが難しいからこそ、10年以上もの付き合いのある女友達の存在は、自分のアイデンティティのひとつである。
だからこそ、今まで以上にその存在を大切にしたいと思う。

もう、二度と会えないという事実も、存在そのものを消し去ってしまうものではなく、実存していた時よりも、増して、存在を大きくする人物も居るということ。
自分が大切に思う人であれば、実存しなくなった後こそ、もっともっとその存在が大切になってゆくということ。

このブログに書ききれない、たくさんのことに気付かせてくれた友人の死。
この辛く悲しい出来事に、心から感謝したいと思う。

さよなら、ちーちゃん。
貴女に出会えて良かった。


面倒見の良い貴女のことだから、そうして、先に旅立って、旅先で私の行くのを待っていてくれるんでしょうね。
イタリアのツアーの時のように、貴女が待つベネツィアにたどり着いた私を迎えてくれた時のように、そこで、再会を待っていてください。

一緒のテンションで、楽しく過ごせた、あの日々が二度と戻らないのだと思うと、凄くすごく寂しいけれど、私の中で貴女は鮮明に生き続けていて、その笑い声や仕草、何もかも、そう簡単に忘れることはできません。
私自身が死ぬまで、貴女のことは忘れない。

さよなら、ちーちゃん。
よく頑張ったね。

やっぱり、私は、貴女のこと憧れてたし、大好きだったよ。

本当に、さようなら。


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2012年1月16日 (月曜日)

妥協精神

オットくんがアメリカの長期出張に出て、あっという間の1週間。
例年ならば、立場が逆で、私が今頃アメリカに居るのにな…
今年はどう頑張ってもアメリカ行きは無理そう。
なので、オットくん遠隔操作中。

出張前にあれこれリサーチして、職場から近そうなアウトレットとショッピングモールを見つけ、ショップリストなどをチェックして、普段私がNYで買ってくるようなものをゲットしてもらえるように指示。
どうやら、楽しみながら指令を遂行してくれている様子。
まだまだ先は長い、よろしく頼んだ!

母国日本に残された私は、リフォーム作戦を遂行中。

昨日はダイニングのペンダントライトを探しに手作り市へ。
数ヶ月前に見かけた、手作りのガラスライトシェードがどうしても脳裏に焼き付いていて、できることならば探し出したいという一心で朝から出かけるが、無い。
ま、そういうものなんだよね。

特に手作りのものとなれば、出会いは運。

仕方なく、ライトシェードとは全く関係のない、手作りパンとか、無垢材で作られた素朴なカットボードとかを買って帰る。

しかも買える途中で電車が火災による運転停止で1時間ほど車内にて帰宅待ち。
とことんツイてない。


今朝は昨日買い込んだパンを焼いて朝ご飯。

オットくん不在でも、食事は手抜きしません。
ちゃんと3食基本的には自炊。

これまた昨日買ったカットボードをお皿代わりに。
カットボードは檜なので、良い匂い〜。
横についている金具がポイントの、珍しい六角形のボードです。
ほぼ一目惚れ。

ボードとかトレイだとか、好き。
ついつい集まってしまう。
同じ感じのものがひとつもないのがいいし、多用途なので、いくつあっても嬉しいし。

手作りのものだと、作家さんがいろいろ説明してくれるので「なるほど!」と思いながら、愛用できるというのも良し。

このボード、機械で作ったわけじゃないので、微妙に自立しなかったり、傷や欠けがあるんだけれど、それも味だし、作家さんが拘って作ってくれた「テーブルに置いても、楽に手に取れる工夫」というのが「なるほど!」なもの。
こんな風に使えば、メニューが単純なフルーツヨーグルトとパンだけでもなんとなくオシャレな感じに。
ひとりでご飯っていうのも、そもそも味気ないので、こうして楽しむのも大切だって思います。

遡って土曜は、5時間ほどにわたる長時間の打ち合わせ。

マンションや新築戸建てなどだと、ほぼプランも決まっていて、その中で好みの色とか、形とかをいくつかの選択肢から選ぶスタイルが多いのでしょう。

そして、イチから作る注文戸建ては、建築家さんが施工主の希望や要望をいろいろ聞いて、最大公約数で個性的なデザインのものを提案してくれて、施工主はそれに更なる細かい要望を出したりということで、家を造ってゆくのかと思います。

さて、私の場合は、中古の改築という、どれにも当てはまらないもので、しかも「リフォーム」とは言っても、壁のクロスを張り替えるだけとか、床をフローリングにするとか、ユニットバスを新しくするとかいう、部分的なものではなくて、「大改造」なんですよ。全面改装。
某テレビ番組の「たくみの技!」みたいな?

ここで、多くの方はデザイナーさんとか建築家さんが新築の注文戸建てを作るように、リフォーム会社さんが提案するものをベースに、色だとかデザインだとかを指定された選択肢の中からチョイスしつつ作ってもらうスタイルなのでしょう。
が、しかし。
私が選んだリフォーム会社は相当違った路線。

素材や施工内容に拘る分、他は顧客任せ(笑)
言い方悪いな。
顧客の努力によって、仕上がりが異なってくる工法?とでも言いますか。

ま、簡単に言えば、あれこれ頼みまくって、全部人の手任せにすればお金もかかるけど手間はかからず。ある程度の選択の余地はあるけれど、基本は面倒くさくない程度で「いい感じ」に作りますという感じだけど、お金をかけずに「すんごく納得いく感じ」に作るなら、拘ってるオマエが動け!ってことなんです。
ワガママ言っていいよ、でも、それは自分でやってくれ的な。

そうなると、自分が一生を過ごすつもりの家ですし、「あ、失敗したー」じゃすまされないわけですし、それなりに住みやすくて、納得できて、居心地のよい家にしようと思えば、もう、あれもこれも、頭の中がグチャグチャになってくるほどいろんなことを考えて、それを実現しようとジタバタして…
しかも予算は限られているし、でも、どうせ作るならいいものにしたいのは当然だし…

ってことで、自分が出来る手配などは、もう徹底して自分で動くしかない。
デザインも、他人に頼むじゃなく、自分でおおよそのイメージを決めて、細かい指示を出す。

こうなってくると、まるで舞台作りと一緒。
音楽決めて、振付決めて、出演者決めて、フォーメーション決めて、衣装決めて、音響と照明決めて…。あれもこれも手配して、指示出して…。
「ムキーっ!」ってなりながらも、一生懸命、脇目もふらず没頭して、ほんのちょっとでも理想に近づけるべく、邁進!

舞台で言えば、本番の幕開けは3月初旬。
あと2ヶ月しかない!
作品(家)とダンサー(工事をやってくれるリフォーム会社)は決まったので、今は香盤表作りってところなのでしょうか。同時に衣装とかやってるという感じなのでしょう。

来月になればランスルーならぬ、内装工事でも造作が入ってきます。
今頑張らずに、いつ頑張るんだ、私。
寝る間も惜しみ、デザイン書きます。
ネットでパーツやらなんやら、探しまくります。

ポストだとか、ライトだとか、キッチンの壁に直づけするステンレス棚だとか、もうブラウザのメモリがはじけ飛ぶ状態です(笑)

こちらは私の手書きイメージ図。

これを担当のデザイナーSさんに見せて、細かい部分をいろいろと決定してゆきます。

例えば棚の奥行きだとか、高さ、位置について。
こっちは素人なので、とりあえず夢を語るわけですが、担当は職人さんですから「それは無理。幅がとれない。」とか「その高さ、今はいいけすけれど、あと20年もしたら届かなくなりますよ。」とか厳しくツッコミを入れてくれます。

キッチンの棚ひとつにしても、見える棚のひとつはスパイス専用として高さが15センチほど、奥行きは5センチ。普通には売られていなかったりするものだけれど、きっちりとオーダーすれば作ってもらえる。

「なんとなく、ここらへんに何かが入る棚があるといいなー」って言われると困るのですが、「ここにはスパイス、ここは菜箸!」みたいに用途をはっきりさせてもらった上でのオーダーは、きっちり応えますよ!とドヤ顔の担当(笑)

ちなみに、担当Sさんはたぶん30前半くらいの若い女子。
この打ち合わせ、我が家でやったのですが、参考までに今使っていて、次の家でも使うつもりの家具やら道具などをみてもらって、あれこれ相談。
私の持ち物が(知っている人は知っている(笑))独特な上、病的な収納マニアであることなど、すべて包み隠さず見てもらったら、なんと、彼女、私と似たテイストが好きということが判明(笑)。
そうなると、途端に変な部分で盛り上がる打ち合わせ。

マステがびっちり詰まった引き出しを見せたら「きゃー♪」と大喜び。
「文房具好きですか〜?」「うん好きスキ〜♪」みたいな、ほぼ女子高生なみのノリ。

真面目にパースとか見ながらの相談もしていますが、正直、楽しい。
どうなっちゃうのかな?追加料金ががっつりかかりそうかな?とか思いつつも、楽しいのだ。

Sさん、わりかし天然系で、ツッコミどころ満載なところもあるのだけれど、それも家造りには欠かせない要素のひとつなのかもしれない。

さて、現段階で確定したのは、ユニットバスとキッチンの機材、そして外壁の色。
まだまだ決めてゆかなければならないものは山盛り。
今晩もネットを徘徊し、図面を睨み、小物の採寸をしつつ夜が更けてゆくことでしょう。


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2012年1月 9日 (月曜日)

無病息災

1月7日。七草粥。

自分たちの無病息災を願うまえに、今、命の崖っぷちで頑張る友人のもとへ。

6日早朝に一斉メールで危篤を知り、最初は新種の振込詐欺とかなのかと疑いつつ、共有の友人に時間をみてメールをして、友人が本当に危篤状態であることを事実として確認。
「くも膜下出血」については、叔母が発症したこともあって、うっすらと理解していたような部分もあるけれど、いまひとつわからないこともあるので、この日は時間の許す限り、いろいろな情報をネットで調べた。
私が彼女を治せるってわけでもないのに。

叔母の時の情報で、最初の出血があってから24時間は面会謝絶になるとのことで、家族が取り乱している所に、知り合いが様子を見に行っても邪魔になるだけ。
と、すぐにでもかけつけたい気持ちを抑えて、「くも膜下出血」について調べまくる。

「意識は戻っている」という、共通の友人の話を聞いて、多少は安堵しつつも、なんだか落ち着かない一日で、詳しい病状を見舞いに行っている友人に聞いたところの、やはり危篤状態には変わらないということ。
胸のざわざわした感じが抜けないまま、一晩を過ごした。

朝、病院につめている彼女の弟さんにメールをして、見舞いに行っても構わないかどうか聞いてみる。
「病状は変わらぬまま、厳しい。会えるとは思えないけれども、よろしかったら来てください。
」との返答を受けて、すぐに用意をして、面会時間にあわせて病院に向かう。

片道2時間。
その時間の長いこと。

最寄りの駅で降りて、バスで向かうところ、焦りすぎて、停留所から発車直前のバスに乗り込み、それが方角違いというのに気付かぬまま。
人通りもないバス停で慌てて降り、戻ろうと思ったところのバスが来る気配もなく、結局iPhoneのMapを頼りに20分ほど歩いて病院にたどり着く。

憔悴しきった、10年ぶりくらいに会う彼女のお母さんの姿を見ただけで、もう泣きそうだった。

病状を詳しく知る弟さんに、いろいろ経緯や現状のことを教えてもらう。
彼女の場合、手術の出来るタイプのくも膜下出血ではなく、「脳底動脈解離」という手に負えないタイプのもの。
今の彼女の病状を知れば知るほど、この1秒1秒、生きていること自体が奇跡であって、医者を含める周囲の人間の全てが、ただ、彼女の生命力と治癒力を信じることしか出来ないということがわかってくる。

脳を刺激しないように、真っ暗い部屋の中で、点滴だけ施され、普段と変わらぬ姿のまま、ただ想像を絶するばかりの頭痛と闘っているらしい。意識もしっかりしていて、自分がどういう状況にあるかも、くも膜下出血であることも本人は理解しているらしい。

「寝ているかもしれないけれど、顔だけでも見ていく?」と言ってくれるご家族には「いえ、闘い終わって、元気になったら顔を見に来ます。」と答えた。

たぶん、3回にもわたる出血で、普通の人ならば既にこの世にはいなくなっているような状況で生き残り、今も睡眠から醒めれば普通に意識のある状態で「頭が痛いよ」、「私、死んじゃうの?」と言う彼女に会ったら、「何バカなこと言ってるの?それより、いいかげん悪い冗談はやめなさいよ!」と場所もわきまえずに怒鳴ったり泣いたりしてしまいそう。
最近、私、更年期が近いせいか、すごい泣き上戸なんだから。

それよりも、次に会う時には「Monie、ごめん〜。悪かったねえ。もうさあ、私もビックリしたわよー!」とケロッとした彼女になっているに違いないと信じられるから、今は会わないと心に決めた。
ここまで厳しい状況を、見事に乗り越えてきたんだもの、絶対に回復するはず。
「信じたい」じゃなくて、何故か「信じられる」って思えるから。

頭、死んじゃうくらい痛いって言うけど、頑張って乗り越えろ。
あと1週間、頑張れ。

1月8日。
一日遅れで七草粥。

無病息災を願う。

買っておいた七草たち。
冷蔵庫で待っててもらったので、ちょっとしんなりしてしまったから、水に放してシャンとしてもらう。


今年は土鍋で生米から炊いてみました。

水の加減が悪くて、わりと「ごはん」感覚の強いお粥になっちゃった。
本当はもうちょっとトロッとしたのにしたかったんだけど。

今日も一日、友人は頑張ってくれたとのこと。
頑張れ、頑張れ!
何もしてあげられないけど、毎日、毎日、祈り続けるよ、またお互いにくだらない話で笑いあえるまで。

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2012年1月 6日 (金曜日)

無題

今日受け取ったメール。

2歳若い友人が、昨日くも膜下出血によって倒れて、手術不可により危篤状態とのこと。

私の親しい友達の中で、彼女が一番「病」とか「死」というものに遠い存在。
いつだって元気をわけてくれるような、南国の太陽のような鮮やかな子。
ツアコン時代の同僚と言うか、ほぼ「戦友」と言うに近い間柄で、いつだって元気なキャラクターで周囲を引きつけていた子。

つい数日前に、自宅に戻った時、届いた年賀状には例年通りの手書きの追加文があって、私も出した年賀状に同じようなメッセージを綴っていた。

暫く、弟さんが送ってくれたメールを何度も読み直し、自分の読み違いを疑ってみたり、偽装メールを疑ってみたり…
余りにも真実味のない出来事に、ひとり、どうして良いのかもわからず。
ただ、動揺して、バカみたいに泣けてきて、泣いたところでどうなることでもなく。

このメール、本当なんだ。
と思ったら、全身に鳥肌がたって、力が抜けて、うずくまるようにして床に座っていた。
怖いというのか、物凄い不安感。

祈るような思いで、共通の友人にメールをして、情報を聞いてみると、意識が戻ったとのこと。

やっぱり。
絶対そうだと思った。
あの子が、そう易々と居なくなったりするわけはない。
一瞬でも、彼女がこの世から居なくなっちゃうのではないかと不安に考えていた自分を笑った。

まるでジェットコースターに乗ったかのような半日。

去年の震災でも感じた、ひとのいのちの大切さ。
どんなに若くても、元気でいても、どんな人にも、生きている限り、「死」というものと隣り合っている。

ひとは愚かなもので、物であっても、存在であっても、物事であっても、信頼も自信も、単純な日常も、失ってみて、初めてその大切さに気付くことが多い。

当然のように、明日も会えるであろう「あの人」や、明日もあるはずの日常は、実は幻に近いものなのだろう。
自分だって、明日、消えて無くなる可能性もあるのだ。

人生において、無駄な時間なんて、一秒もなくて、今、この瞬間も、毎日変わらない生活だとしても、いつまでも一緒に居られると思う人とも、その貴重さに心を留めないとならないのだと思う。

30代くらいまでは「いつ死んでも後悔ない」と言い切っていた私だが、40半ばになって考えが変わったようだ。
今死んだら絶対後悔するから、だから、あと1日でも後悔しないように大切に日を過ごしたい。

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2012年1月 5日 (木曜日)

幻の珈琲

三が日もあけましたね。
普通の生活に戻っている人も多いようです。

Monie家は、まだお休み中。

正月の間のひとこま。

ついに本物を見つけてしまいました。

ウチの犬、ルアックの名前は、この「コピ・ルアック」からとっています。
そのおおもとは「かもめ食堂」という映画に、このコピ・ルアックの話のくだりがあり、そこからルアの名前を決めたのです。

幻の珈琲と言われていて、生涯、たぶん飲むような機会に恵まれることはないと思っていました。
そもそも、映画では「珈琲が美味しくなるおまじないの言葉」ということで使っていたのですよね、たしか。

その、貴重な珈琲が飲めるとは。
「たった一杯の珈琲に、このお値段〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」とさすがに仰天しましたが、でも幻ですもの、或る意味納得。

正月という、「非日常的」な気分もあって、オーダー。

カップもソーサーも上質のもの。
なんだか、威厳ある感じ。
風格漂う感じ。

で、お味は。

確かに、香りは深みがあって、甘味を感じるような濃い味わい。

…味オンチの私には、それ以上のコメントは無理みたいです。
一緒に試した母は「普通の珈琲とは異なった風味だよ!」と言っておりましたが…

残念なことに、私はNYで毎年たんまりと仕入れてくる、フレーバー珈琲のほうが美味しく感じるようでした。
安上がりな味覚だわ。
とほほ。

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2012年1月 3日 (火曜日)

一年の計は…

一年の計は元旦にあり、と云いますが、一年の計は三が日にあり、という気持ちでブログ更新。
三日坊主にも届かないのは悲しいし。

ということで、正月気分最終日にもあたるであろう、三日。
元旦はオットくんの家族に付き合い、二日の夜は実家の両親に付き合う番。

オットくんにルアを預けて、都内に戻る。

素晴らしい夜景。

実家の両親に付き合って、都内のホテルに宿泊。
なんとも有難い正月です。
お年玉ってことで。

宿泊する部屋。
広い〜

ちなみに、両親は大晦日から宿泊。
隣のツインルーム。


バスルームにテレビ!

映画を観ながらお風呂を堪能。
正直、のぼせた( ̄◇ ̄;)


アメニティはロクシタン。
気分アガります。

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2012年1月 2日 (月曜日)

善い番号

なんとなく、正月の実感が例年よりも薄いのは、昨日の初買いで惨敗したからとういわけではなく、数ヶ月後に予定している引越しのために、大掃除を端折ったからなのでしょう。
やはり、気持ちよく新年を迎えるためには、住処をきちんと清め、整えるという作業が欠かせないのだな…なんて今更思ったりもします。
もうちょっとでいいから、掃除しておけば良かったな。

皆様はお正月満喫中でしょうか?


昨夜、初詣の時にひいた御神籤。

なんだか、イイ感じ。
このところ、良くて吉しか当たらなかったので、やっとキタか〜!という気分です。
しかも、番号が私の祖母から引継ぐラッキーナンバー!
普段は占いなども全然信じない私ですが、これは信じておこう。

良いことは信じる。
運は信じれば開ける。
信じるものは救われる。
結局、何事も、考え方次第なのだろう。

今年も、ノウテンキにマエムキに、やっていきます。

ちゃんとした抱負もありませんが、笑顔を忘れず、感謝を忘れず、丁寧に日々を過ごしていきたいです。

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2012年1月 1日 (日曜日)

あらたなとし

新年明けましておめでとう御座います。

皆様にとって、今年が、また新たに良き一年となりますように。

大晦日の夜は、年越し蕎麦をメインに、辛口の白ワインで乾杯。
明日からオットくんの実家へ帰省するため、フライングでチョットだけおせち料理も。
そして、食べてる途中で画像を忘れていたことを思い出して撮影したので微妙な画像…

私はリビングで紅白とお笑い、オットくんは別の部屋で格闘技を別々に鑑賞しつつ迎えた新年。

朝から恒例の初買いへ。
しかし、例年よりも出遅れてしまい、惨敗(;_;)
欲しかったものが一つも買えず、ガッカリ。

凹む私に、可哀想と思ったらしく、ゴディバのホットチョコレートを買ってきてくれました。
お屠蘇代わり?

スゴい甘さですが、美味しい〜。
温まる〜。

そして、帰省のためのお土産はコストコにて購入。

甥っ子たちには、やはり量とインパクトが一番(笑)
少人数家庭では滅多に買えないような、ダース入りのドーナツやパンを買えるのって、ちょっと楽しい。

昼ご飯は、ペペロニのピザ‼
スライス一枚で満足。

このボリューム感、NYを思い出します。

今年は引越しや、いろんな出費もあって、恒例のNY独り旅は来年に残念ながら延期。
だからか、尚更、美味しく感じたピザでした。

オットくんの実家へ移動し、待っていてくださった義母と義兄一家とで夕方からお祝いの食事会。
久々に可愛い甥っ子たちとも会えました。
恒例の大雄山へ初詣もできて、今年最初の日が終わります。

明日は、オットくんとルアを残して一人移動して、今度は実家の親との新年会です。

忙しい〜‼

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2011年12月31日 (土曜日)

残り数時間

今年も残すところ数時間。

本当に、本当にあっという間の1年でした。

皆様は如何でしたか。

私にとっては、起伏に富んだ、思い出一杯の一年でした。
「思い出」と言うと、良いことばかりのように聞こえますが、やはり震災による恐怖や不安も憶えましたし、いろいろと断念したり諦めたり、失ったものもあった一年でもありました。
辛かったこと、悲しかったこと、イヤなことも沢山ありましたが、こうして一年を無事過ごし、振り返って見れば、良いことも悪いことも両方あったからこそ、またひとつ経験を通して学ぶことができた一年だったということだと思います。
辛かったり、悲しかったりしたからこそ、嬉しかったり楽しかったりすることが、きちんと喜べたのでしょう。

この一年、仲間で居てくれた皆さん、今年も一緒に舞台を楽しんでくれた皆さん、本当にありがとうございました。
これに懲りず、また来年もお付き合いいただければ幸いです。

29日はMDSの忘年会。
年末ギリギリのスケジュールだったために、あまり多くのメンバーが参加できなかったのが残念でした。

年末恒例、モツ鍋。
てんこ盛りのモツ鍋を前に、ほぼ会話もなく(というか、満席なうえに、店内が煩すぎて会話にならない)たいらげる女子ばかりのテーブル。

ふと周囲を見渡すと、他のテーブルはほとんど「男子会」状態。
どうりで煩いわけだ。

当然、モツ鍋は2人前追加で、余裕でたいらげるMDSメンバー。

〆に出てきたチャンポン麺の山。

1回では鍋に入りきらず、3回にわけて投入。
しかも、当然、これらもペロッと。

2次会は久々のカラオケ。全員参加にてAKB祭り(笑)。

また来年も、やりましょう。

さて、今年最後のブログ更新。
この方からもメッセージ。

また来年もよろしくお願いします〜


では、皆様、良い新年をお迎えください。

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2011年12月22日 (木曜日)

悩みの渦

冬至。
寒いですね。
インフルエンザも流行りだしたとのことですが、皆様お元気ですか。

さて、着々と、というか、ゆるゆると?新しい家の改築の準備が始まりました。
何度も打ち合わせをして、あーでもない、こーでもない、もっと安くならないか?とか、でも絶対これは譲れないとか、図面を前にやりとりを繰り返してきました。
どうにか、なんとなく、形に近づいてきたのかなぁ?

漠然としていたものが、だんだんと輪郭をはっきりとさせてゆく。
そういう感じです。

もしも、家を建てるなら、小さくて、でも、心地よくて、お休みの日も家から出たくなくて、外に居ても早く家に帰りたくなるような、そんな「居場所」が良いって思っていたのだけれど。
でも、そんな漠然なイメージじゃ、家なんて出来ません。

しかも、新築で建てるってわけじゃないので、最悪、中古で買った状態のまま住むっていうことだって出来るわけで。

でも、今の中古の状態で「ここ、居心地いい」って思える部分は、裏側のちいさなちいさな庭と、それを望む和室の片隅(でも畳は新しいのにしないと無理…)。
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オットくんは、お風呂とトイレだけは新品にしたいと主張。
私は、床は無垢材、壁は漆喰を主張。
それぞれに言い分とか理由とか、夢も希望もあるわけで。

私の主張は、とにかく自然素材をシンプルなデザインで使ったものが良くて、それは好みの問題もそうだけど、ケミカルなものは身体にさわるから出来るだけ避けたいという気持ちが強いから。
壁のクロスの臭いや、合板のフローリングの冷たさ、接着剤の臭いも苦手だ。
しかし、無垢材の床や、漆喰の壁を…と思うと、どうしても「カントリー」という方向にいってしまう。
「カントリー」は嫌いじゃないけれど、私の好みとはちょっと違う…
ましてやログハウスのようになってしまったら…もっと違ってきちゃう。

好みだけで突き進むとしたら、昭和のレトロな家が一番好きなのだ。
いや、予算とか、そういうのを考えずにもっと突き進んで良いとするなら、昭和よりもっと前の時代のものだったら、悶絶するほど好み。
物件探しでウロウロしている時に、昭和の「味わい深い」家に巡り逢い、建具のひとつひとつや欄間の彫刻とかに感動して、涙目になりそうなくらいだったのだけれど…
オットくんいわく「俺の実家と同じ…」とつれない。

オットくんは、ピッカピカの新築大好き。
最新設備が施された、美しい、ツルツルの新築を見ては「いいなぁ」と。
私、新築、興味ない。

こうして、好みも主張もきっぱりと別れた私たち夫婦ですから、いろいろともめそうなのですが、意外とこだわりポイントが違うせいか、それほどもめたりすることもなく。

おおよその改築ポイントをリストアップして、良さそうな建築会社をネットで探し、資料を取り寄せた3社に見積もりを頼み…
見積もりはべらぼうに高かったけれど、ワクワクするようなプランニングを提供してくれたS社さんに決定!
もう、ここまでで相当大変だったのですよ。


このコースター、床や造作に使う木材のサンプルなのです。
S社のオフィスに打ち合わせしに行って、床材を決めるのにあれこれ相談した時に戴きました。

本当は匂いの良い檜とかが足にも柔らかくていいので選びたかったのですが、我が家にはやんちゃなシッポが一匹いるので、柔らかい木材じゃ削れてしまう。
悩み悩んで、お勧めされたタモに。
着色無しのナチュラルをチョイス。

家は、洋服やアクセサリのように「そろそろ飽きたから新しいの」とか取り替えがきかないので、ちょっとした部分でも慎重に選ばないと…。
持っている家具との相性や、ライフスタイル、イメージ、使い勝手…
タモを選んだポイントのひとつは、「使っていくうちに、傷や変色が「味」として楽しめるようになる」というところ。
汚れたり、傷がついたりするのを怖がっていたら、心地よい生活は出来ないだろうから、あえて汚しても傷つけても大丈夫なものがいいと思う。

私たち夫婦と一緒に歳を重ねていってくれるような家がイメージなのかも。

壁の漆喰は、アメリカに住んでいた時のアパートはどこも築100年くらいのものばかりで、綺麗に漆喰が塗られていて、それが凄く好きだった。感触も良かったし。素朴で飾らない雰囲気も好い。
何より、呼吸をする素材だから、無垢材の床とも相性は抜群。
湿気や、乾燥から身体を包み込むようにして守ってくれる壁になる。
(人によっては髪の毛や肌の質感が驚くほど変わるらしい!)

オットくん希望の新しいお風呂とトイレは、ユニットをメーカーで購入するためにショールームへ。
本来は相当ワクワクするショールームでの打ち合わせですが、いろいろと素敵な商品を見て、心が揺れ動くようなことがないように、前日にガッツリと夫婦してカタログを熟読し、おおよそのセレクションを決めて行ったため、あまりにも素敵すぎるデザインのユニットセットや便利そうな機能のオプションなどに惹かれることもなく、先客二組よりも相当早いペースでオーダーを決定。


繰り返される小さな変更。
おかげで、似たような状態の、よく見ると細かい部分がいろいろ変わったという間取り図がいっぱい。

ここに夢がたっぷり詰まっているんですよ。

さて、今週末よりついに工事がスタートします。
工期は予想をはるかに超える2ヶ月以上。
事故や、問題がおこらないように、スムーズに高じが進みますように。

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